この頃、世の中のことや自分の心を顧みて、考えることが多くなっています。いくつかのまとまったテーマについては記事にしてきましたが、まとまらない事柄も溜まってきました。

そこで、一斉在庫処分ではないですが、エッセイ未満の思考の断片を書き記していこうと思います。

断片1:みんな暇を持て余している

日本人はみんな暇すぎてどうしようもなくなっている。これについては以前も書きましたが、やっぱりこう痛感することが多くなっています。

ネット上ではさまざまなニュースやだれかのツイート、芸能人のスキャンダルなどが取り上げられ、騒がれていますが、それも多くのひとが暇を持て余している証拠。もしやることがあるのなら、赤の他人にいちいち興味を持つこともないはずです。

世の中で何かが起きる。何かがメディアを騒がせる。そのとき背景にあるのは、かなりの割合で「みんなが暇を持て余しているから」のように感じられます。

断片2:コンビニバイトはKYである

コンビニやスーパーのレジなど、低賃金でアルバイトをしているひとを見るたび、私はどこか言い知れない違和感を覚えてしまうのですが、その正体が少しわかりました。それは、彼らがKYであるということ。

低賃金で働くのがKY。ここは少し説明が必要です。

どういうことかというと、もし彼らが最低賃金に近い時給で働くのをやめれば、まず人件費が上がります。人件費がどんどん上がっていけば、いずれ店員の業務を代替する設備に投資した方がいいということになります。そうなれば、社会から低賃金の仕事自体が減るわけです。

逆に言うと、安い時給で働く人間がいるせいで、設備投資が促されず、生産性が上がらない状態が維持されているわけです。というわけで、いまコンビニなどで働いているひとは、働くことによってイノベーションを妨げているので、KYというわけです。

もっとも、私自身も去年までコンビニでバイトしてたので、KYだったのですが。

断片3:ネットばかりしてるとバカになる

インターネットは便利だし、さまざまなことが学べますが、しかし、マイナス面もあります。その最たるものが、内面における思考の醸成を妨げてしまうことです。

ネット上ではいろんな情報が次々に流れていき、私たちはSNSでそれに反応します。まさにこれは反応・反射であって、一過性のもの。内側への蓄積はなく、蓄積したものの醸成もありません。

ひとり静かに本を読んだり、思いを巡らしたり、空想にふけったりという時間がネットによって確実に奪われている。すなわち、ネットばかりしているとバカになる。日々、バカになっている。これは問題です。何とかして、この弊害を取り除かねばなりません。

しかし、いかんせん私はネットで稼いでいる。ネットから完全に離れるのは難しい。因果なものです。

断片4:生きるために仕事をする必要はない

「生きるために仕事をする」「食べていくために働く」。まだこう思っている人がいることに驚かされます。

実際問題、字義通りの意味で「生きるため」「食べるため」に働いている人など、すでに日本にはほとんどいません。極端な話、生活保護があるのですから、働かなくても生きていける条件は整っています。

そうなるとあとは豊かに生きるとか、プライドを守るとか、自由を手にいれるとか、もう一つ二つ上のランクのものを求めて仕事をすることになります。実際、働く意味というのはこちらにあるでしょう。

なぜ今もって「生きていくために働く」と思っている人がいるのか、なぜそう言葉に出す人がいるのかはとても不思議です。

断片5:家事と子育ては簡単

家事と子育てはやけに大変なものだとされていますが、そうは思えません。過大評価されている感があります。家電が著しく発達したことによって、洗濯も掃除もかなり楽になり、料理だって昔に比べれば圧倒的に簡単です。

なのに、夫婦の家事分担が問題になったり、「夫が家事をやらない」という愚痴が妻から出たりというのが不思議です。どちらがやるかなんて問題にならないくらい、家事は簡単なはずなのに。

子育てはしたことがないので断定的なことは言えませんが、世の中で言われてるほど大変なものではないだろうと睨んでいます。いろいろやろうとするから大変になってるだけで。

家事と子育てが大変だというのは、むかし大変だったというイメージが残っているだけではないでしょうか。

断片6:「大変ですね」が人生を狂わせる

長時間労働をしていたり、家事や子育てに追われていると、周囲から「大変ですね」「がんばってますね」と言われることがあります。これはかなりの快感でしょう。

人間、「暇なやつ」と思われるのは不快で、「忙しい」「大変」と思われるのは嬉しいものです。だから、そう思われるような言動を取りやすい。卑近なところでは「寝てないアピール」なんかもその一種です。

上に書いたことと繋がりますが、「生きるために働いてる」というのも、「家事と子育てが大変」というのも、結局、周囲から「大変ですね」と言われたいがため、という面が強いのです。

しかし、この蜜の味の虜になってしまうと、本当にすべきことに時間が取れなくなります。下手にまわりから認められてしまうが故に、本質から遠ざかっても安心してしまいがちです。

「大変ですね」「ご苦労様です」と言われるのは心地いいものですが、これは麻薬のようにゆっくりと人生を狂わせていくでしょう。

断片7:遊び方がわからない人が多い

仕事をしなくていいなら、何をするか? まずは遊ぶことです。ホリエモンもよく言っていますが、働かなくていいんだから遊べばいい。

しかし、多くの人は有り余る時間を遊びに使うことができません。そんなに遊ぶことは得意じゃないのです。何をして遊んだらいいかわからない。

というか、見方を変えるなら、昭和のサラリーマンの労働というのも一種の遊びであって、その遊びが廃れてしまったと捉えることもできます。会社での出世競争というのは一種のゲーム、楽しい遊びだったのだけれど、それが終わってしまった今、代わりを見つけられないでいる。

本当に楽しいことというのは自覚すらできないことがありますが、昔のサラリーマン・ゲームもきっとそうだったのでしょう。本人たちは「楽しい」とすら自覚せず、ほぼ一生をそのゲーム、その遊びに費やしていた。それほど面白かった。

でも、今はそれを超えるほどの遊びをみんな見出せずにいます。

断片8:好きなことがある功罪

「好きなことをやればいい」とか「好きなことが見つからない」とか、最近は「好きなこと」がクローズアップされがちです。

一昔前までは、好きなことは大人になったら辞めて、生活のために働くのがある種の正解でした。好きなことを諦めることが大人になること、みたいな風潮があった。

しかし、今はそれが一変し、好きなことを持ち続けること、やり続けることがよいとされるようになりました。事実、ウェブサイトやYouTubeでは、好きなことを発信してお金を稼げるようになっています。

はて、しかし、好きなことがあるのはいいことなのか、悪いことなのか。

私は小説が好きですが、小説が好きなせいで他の多くを犠牲にした気がします。一方、好きなことなどない人の方が臨機応変に人生を生きられて幸福そうにも見える。

好きなことがあるのはいいこと。好きなことがある人は羨ましい。こう言われると、複雑な気分になります。

断片9:集団の中で評価されるのはいいことか

人間はたいていどこかの集団に属しています。家族、クラス、会社など、何かのコミュニティの一員になっています。そして、その中で上か下かを競ったり、評価されたりされなかったりする。

たとえば学校の教室にはスクールカーストが存在し、そこでの上下をすごく気にする。女性の場合は男性以上に、自分の周囲からの評価を気にする。だから、陰口を叩いてだれかの評価を落としたり、マウンティングをして自分の評価を上げたりする。

たしかに、自分のいる集団の中で評価されて、地位が高くなると気持ちがいいものです。しかし、そもそも人間は似た者同士、同じレベルの者同士が集まるわけですから、その中で競ってもあまり意味がないように思えます。

集団の中のどこにいるか。これは、実はたいした問題ではない。むしろ、どういう集団の中にいるのかが大切ではないでしょうか。

こう考えると、今いる集団の中でどう評価されているかはあまり重要でないと思えてきます。むしろ、重視すべきは、自分の属している集団にどんな人たちがいるか、です。

断片10:現実を相対化すること

いまの社会では特定の価値観に基づいて競争が行われています。「価値観の多様化」などと言われているのに奇妙ですが、私たちの価値観・考え方・世界観はどんどん狭くなっているようです。

しかし、特定の価値観・基準の中で競争をしていると幸福でない人間が増えてしまいます。競争をして満足を感じられるのは上位数パーセントであり、残りは敗者・負け組の烙印を捺されてしまいます。さらに言えば上位の人たちもその中でまた争いがあり、いつ転落するかわからない不安にさらされることになる。

つまり、ほとんどだれも幸福にならない。格差社会と呼ばれるものの問題の本質は、この構造にこそあるでしょう。

もっとも、優秀であったり努力を続けたりすれば、ある程度は競争で勝つこともできる。しかしどれだけ勝利したところで、膠着した価値観に絡め取られたままというのは変わりません。

このとき問題を解決する――というか、パラダイムそのものを転換するには、現実を相対化するしかありません。絶対的かのように思われていた価値観・現実を、数あるもののうちの一つとして捉え直すのです。

そのために使えるのが小説です。小説には作家特有の世界観があるので、画一化した価値観から一歩離脱することができる。言ってみれば、世界の外に出ることが可能になります。独特の感性・世界観を持った作家の作品を読むことで、現実を相対化することができるでしょう。