ディズニーの映画「シンデレラ」を見たことはあるだろうか? アニメとしては古典中の古典と言える作品だが、実は、シンデレラには学ぶべき成功のマインドセットがたくさん詰め込まれている

シンデレラの成功マインド5つ

シンデレラはただ不遇に甘んじていたわけではない。王子様をひたすら待っていたわけでもない。彼女が成功を手にできたのは、完璧に、必然的な結果である。

その結果を導いた、恐るべき彼女の5つの成功マインドを見ていこう。

1)徹底したギブ・アンド・テイクの精神

シンデレラはGive and Takeの精神を徹底している。とにかく、「まず与える」のがシンデレラのやり方だ。

映画冒頭、彼女は1匹のネズミを助け、服を着せてやり、ガスという名前をつけてやる。食事も与える。ここには取引の要素はなく、ただ一方的な贈与=ギブだけがある。

さらには、シンデレラはネズミたちの天敵であるルシファーという猫にもミルクを与える。たとえ嫌な相手であっても、彼女はギブするのである。

鳥たち、ネズミたち、それから馬や犬に日々ギブすることにより、彼女は大切なときに彼らから助けてもらえる。ドレスを仕立ててもらったり、監禁された部屋から脱出する手助けをしてもらったりできるのだ。すべて、ギブあればこそのテイクである。

「私はこうするから、あれをして」という、テイクを条件としたギブをすることは簡単だ。これは誰だってできる。こんなのはただの取引に過ぎない。

しかし、シンデレラはテイクを前提としないギブができる、稀有なマインドの持ち主なのである。

2)与えられた状況で努力する

シンデレラはいじわるな継母とその二人の娘、ドリゼラとアナスタシアによってこき使われている。毎日、掃除に洗濯に料理に忙殺されている。

しかし、そんな中でも歌とダンスを学んでいるのである。

ドリゼラとアナスタシアは母親の特訓を受けているのに、まったく身が入っておらず、上達もしていない。うまくいかないのをどちらも姉妹のせいにしている始末だ。

一方、シンデレラは床掃除をしつつ、漏れ聞こえてくる継母のピアノ伴奏を聴きながら見事な歌をうたっているのである。

あるいは、そういった描写はないが、箒相手にダンスの練習もしていたのだろう。その結果、舞踏会では見事に踊り、男性を魅了することができた。

時間がなくても、環境が悪くても、その力を発揮する具体的見通しが持てなかったとしても、そのときできることをする。シンデレラはこんな超人的な努力を何年も続けているのである。

3)権利を主張する度胸

シンデレラは奥ゆかしくておしとやかな女性……ではない。彼女は実は、権利を主張すべきときにはしっかり主張できる女性である。

それがわかるのは舞踏会への招待が来たときだ。シンデレラは事実上家政婦のようなポジションに追いやられているし、継母と姉妹に舞踏会へ参加することを阻止されそうになる。

が、シンデレラははっきりこう主張する。

「私は今でもこの家の家族です。舞踏会に行く権利があります」と。

毎日奴隷のようにこき使われつつも、ここぞというときははっきり自分で権利を主張する。シンデレラは強いのだ。

権利はあっても、それを他者に主張することのできない人間は多い。長く不遇の状況に置かれると「どうせ自分なんか」と腐ってしまう人も多い。だが、シンデレラは決していじけず、自己主張すべきときにはするのである。

ちなみに、シンデレラというと「白馬の王子様を待っている」というイメージを持っている人もいるだろうが、これは完璧な誤解だ。彼女は白馬の王子様なんか待っていない。むしろ、自分から4頭立ての馬車に乗って、単身お城まで乗り込んでいくのである。

4)理想にとらわれない現実的思考

意外に思われるかもしれないが、シンデレラはきわめて現実的な女性である。夢は見るが、決して一つの理想に囚われてはいない。

これがわかるのは、クライマックスの舞踏会のシーンである。

実はシンデレラは、あの舞踏会のとき、一緒に過ごした相手の男性を王子様だとは気づいていないのである。

他の女性たちみなが王子様に気に入られようと必死になる中で、シンデレラはたまたま話しかけてきた男性と意気投合し、そのまま魔法が解ける深夜12時まで時間を過ごしている。

ここは今回見直してはじめて気づいたのだが、シンデレラ視点で考えると、彼女は王子様には全然こだわっておらず、ただ最初に声をかけてきた男性と時間を過ごしているのだ。最後、「王子様に一目会って挨拶しておけばよかった」と、王子を目の前にして言っている。

彼女は自分の美しさを自覚しているはずだし、魔法が12時までなのも知っている。それでもなお、王子様という理想にとらわれることなく、たまたま出会った男性と時間いっぱいまで過ごすのである。その相手が王子であったのは結果論に過ぎない。

ふつうのマインドの持ち主なら、あの状況では王子様を狙いに行こうとするはずだ。せっかく魔法の力も得て舞踏会に来れたのだから、みんなが羨む王子様を落とそうとするのが人情だろう。

だが、シンデレラはそうしない。

彼女は完璧主義にとらわれない、現実的思考ができる人間なのである。

5)ライバルを出し抜くプレゼン能力

物語の後半、お城に残してきたガラスの靴を手掛かりに、大公殿が持ち主を探しに来る。そのガラスの靴がぴったりな女性を王子のお妃に迎えよう、と。

ここで、継母はまたしてもシンデレラにいじわるをし、部屋の中へ彼女を閉じ込めてしまう。そこからの脱出劇は映像としてハラハラする見せ場なわけだが、シンデレラ本人の凄さはその脱出後に明らかとなる。

小鳥やネズミ、犬といった仲間の助けを得て、シンデレラは部屋から居室の方へ降りてくる。ようやく靴を試せるのだ。

だがここで継母の最後の抵抗で、ガラスの靴が割れてしまう。唯一の手掛かりだったガラスの靴が……。

しかし、破片を前にして泣く大公殿に対し、シンデレラはこう言う。

「泣かなくてもいいのです。私、もう一つを持っていますから」

そうして、彼女はそのもう片方を懐から出して、履いてみせるのだ。

ここで注目すべきは、部屋から降りてきたシンデレラがもう片方のガラスの靴をあらかじめ懐に忍ばせていた、という事実である。

彼女はきっとこう考えたのだ。

「あのガラスの靴はかなり小さいから、ドリゼラやアナスタシアには合わない。とはいえ、国中の若い娘に試させれば候補が数百人、数十人は出てきてしまうだろう。では、一発で自分が探している女性であるとわからせるにはどうしたらいいか?」

そこで、彼女はあのガラスの靴のもう片方を、あのタイミングで持ってくることにした。

状況や相手の目的を想像できない人間なら、ただあっちが持ってきた靴を試すことしか考えないだろう。しかし、シンデレラは顔も知らぬライバルたちの存在をすでに想定し、おまけに相手が何を求めているのかまで考えて、ガラスの靴を懐に入れて持ってきたのである

もし大公殿が持ってきたガラスの靴が割られなかったとしても、シンデレラはもう片方の靴を見せることで、自分が探している女性その人であることを示しただろう。しかもこの行為は、王国中の若い女性に靴を試させるという、大公殿の膨大な労を省いてあげることにもなる。

このまま行ったらどうなるか? 目の前の人は何を求めているのか? 何をすれば自分も相手もWIN-WINの結果を得られるのか? こうしたことをすべて考えて、シンデレラはガラスの靴を持って降りていくというプレゼンテーションを行ったのである。

恐ろしい女だ。

シンデレラはシンデレラ症候群ではない

以上、シンデレラが備えている5つの成功マインドを見てきた。おそらく、一般的に思われているようなシンデレラ像とはかなり違ったはずである。

世の中にはシンデレラ症候群なんていう言葉もあって、こんな意味で使われている。

白馬を駆る素敵な王子様がどこからか現れて、迷える女の子である自分を救ってくれる。

しかし、これはとんでもない誤解だ。シンデレラはそんな女性ではない。

上にも書いたが、シンデレラは白馬に乗った王子様など待ってはおらず、むしろ自分から4頭立ての馬車に乗って舞踏会という出会いの場へ乗り込んでいくのである。

迷えるか弱い女の子どころか、すべて自力で未来を切り開いている。受け身ではなく、とことん能動的な女性だ。

表面的に見るとあの物語は妖精の魔法がポイントになっているようだが、実はそうではない。もしあの魔法がなかったとしても、シンデレラのマインドがあれば次の舞踏会には参加し、そこでチャンスをつかんでいただろう。


余談だが、シンデレラ症候群にあてはあるのはシンデレラではなく、眠れる森の美女のオーロラ姫の方だと思う。

彼女は特段なにか努力をするわけでもなく、ただ夢に見た男性に憧れているだけだ。で、実際に白馬にまたがった王子様と出会い、恋に落ちる。すべて妖精任せという依存マインドの持ち主である。

「シンデレラ症候群」などという名称はシンデレラに対する名誉毀損なので、ぜひとも「オーロラ姫症候群」に名称を変更してもらいたい。

おわりに

なんとなくの古いイメージでシンデレラを捉えていると、古風で奥ゆかしく、王子様に助けてもらった女性のように思ってしまう。だが、物語をしっかり見ると、まったく別の、と言うか、真逆のシンデレラが見えてくる。

逆境の中でも努力を怠らず、ギブ・アンド・テイクの精神を持ち、自己主張すべきときにはして、現実的な思考ができて、プレゼン能力にも長けた女性――これが本当のシンデレラだ。

少しでもいいから、そんなシンデレラのマインドを学び、実生活に活かしていこう。