これからの世の中を生きていくうえで、重要とされる能力がいくつかあります。たとえばコミュニケーション能力だったり情報処理能力だったり。具体的なところでは英語力やプログラミングスキルも注目されています。

そんな中でも論理的思考力が大切という話もよく耳にしますが、はたしてこれはなぜなのか? 論理的に考えてみましょう。

過去の経験が役に立たない

まず前提として、社会の変化が激しいために、過去の経験が役に立たなくなっているという状況があります。

世の中が同じ状態をキープしているのなら、20年前30年前の経験則がいまでも有効で、それをしたがっていればうまくいくでしょう。しかし今は、社会の仕組みも人間の考え方も生活週間も、あらゆるものが激変している。

こうなると、古い経験とか成功例は価値を失ってしまいます

たとえば「フリーターと正社員は生涯年収が倍も違う」みたいな話がありますが、これは過去の統計にすぎません。今後も同じ傾向が続くかどうかは未知数です。

あるいは、スポーツの世界における指導方法も、以前はある程度の暴力が許容されていたのでしょうが、今の基準ではアウトです。そのため、過去の経験で「これくらいいいだろう」と判断してしまった人が非難を受けるという状況が発生しています。

このように、あらゆる面で過去の基準は役に立たなくなっているし、むしろ、それに従うことによって失敗することも増えているのが現代の特徴です。

経験がだめなら論理に従うべし

過去の経験・基準が役に立たなくなってしまった。こうなると、人生の先輩方のアドバイスも相対的に価値を失ってしまいます。

これまで悪くない人生を送ってきた年配者や老人の経験則、それに基づく忠告。これは世界があまり変化しないという条件下では、きわめて有効だったはずです。

しかし、生きている世界があまりに変わってしまったために、残念ながら、それは信頼性を失ってしまいました。一部、いまでも有効なものというのはあるでしょうが、具体性を帯びれば帯びるほど、年上の人の忠告というのは信用できないものとなっています。

なので、私としては、年配者の言うことはよくて話半分に聞くようにしています。

たまに「年上の人の言うことは聞くものだ」と言われますが、これ自体が過去の経験則ですから、すでに効力を失っています。むしろ、年上の人の言うことを聞いてはいけない時代になっているのです。

では、経験が役に立たない世界で何を頼りにすればいいのか? それが論理です。

論理には普遍性があり、時代によって左右されないという特徴があります。たとえばごく単純な論理として、三段論法があります。

  • 大前提:すべての人間はいつか死ぬ。
  • 小前提:清水 Airは人間である。
  • 結論:よって、清水 Airはいつか死ぬ。

この思考の道筋自体は古代ギリシャで発見された古いものですが、もちろん、今でも有効です。時代が経過したからといって有効性・信頼性を損なうことがありません。論理は経験則とちがい、どれだけ時代が変わっても頼りになるというメリットがあるのです。

さらに、論理は古びないという特徴のほかに、新しい事実を発見できるという強力なメリットも持っています。

数学は論理によってなりたっている学問ですが、たとえば直角三角形の三平方の定理を考えてみましょう。その斜辺の長さがわからない場合でも、残りの辺2つの長ささえわかれば、あとは簡単な計算で斜辺の長さが導き出せます。

現実世界では前提となる事実が曖昧だったりするので、推論の結果が必ず正しいとは言えませんが、論理を使えば未知のこと・未来のことが推測できる。しかも、根拠を持って推測できるのです。

すでに価値を失った経験にただ従うのと、普遍性を持った論理によって推測をするのと、後者の方が有利なのは言うまでもありません。

コミュニケーション能力の2つの意味

ところで、もう何年も重要だと言われているものに、コミュニケーション能力があります。企業が人を採用するとき、もっとも重視するのがこのコミュニケーション能力らしい。

しかし、一口にコミュニケーション能力といっても、内実は2つに分かれます。

  1. 愛想のよさノリのよさなど、表面的に人に合わせる能力
  2. 思考の筋道を言葉や文章で人に伝える(受け取る)能力

このうち1つ目は論理とは関係がありません。論理的思考が苦手だったとしても、反射神経的にまわりに合わせることができればいいだけです。

一方、2つ目は論理と無関係ではいられません。というより、論理的思考ができなければ、他人と思考を共有することができません。

反射神経的なコミュニケーション能力だけでもある程度楽しく生きていくことはできそうですし、実際それ一本で生きてきたというタイプの人もいますが、それだけだと、新しいものを吸収したりだれかに伝えることができません。

なにしろ、1つ目の能力は周りに合わせることに主眼が置かれているので、何かを吸収するとか、自分から何かを発信することとは無関係です。今後、より重要になってくるのは、論理的思考力が前提となる後者のコミュニケーション能力ではないでしょうか。

どちらの能力を求めてるかで会社の未来がわかる

ちなみに企業がどちらのコミュニケーション能力を求めているかと考えますと、これは個々の企業によって違うでしょう。会社の風土と社員にあわせてやっていって欲しいという会社もあれば、論理的思考を駆使して新しいものを生み出して欲しいという会社もあるはず。

前者のような会社は基本姿勢が現状維持ですから、この先伸びることはなさそうです。逆に、これまでの基準が古くなったことに気づかず、何かのきっかけで没落するかもしれない。

一方、後者のような会社は過去の経験にしばられず新しいものを生み出していこうとしている。だから、この先にも期待できます。

「コミュニケーション能力が大事」といったとき、会社がどちらを重視しているかを探れば、その会社が将来どうなるかも予測ができるでしょう。

論理的思考のマイナス面

さて、ここであえて論理的思考のデメリットについても考えてみようと思います。

「理屈っぽい」と非難されたら?

まず第一に、論理性ばかり重視していると「理屈っぽい」「理屈屋」と言われてしまうという問題があります。

論理を好むようになるとあらゆる場面で論理的正しさを追求したり、理屈を通そうとしてしまう場合があり、これは周りから好ましく思われません。日常生活やささいな問題においては、論理は二の次にして融通をきかせる態度が必要でしょう。

しかし、中にはそもそも論理的思考ができないせいで、理屈を拒絶する人もいます。

話のテーマによりますが、「理屈っぽい」という理由で相手を非難する人がいたら、その人は論理的思考力がそもそもないと考えた方が妥当なので、それ以上深く話をするのはやめた方が無難です。

論理的に考えすぎると成功しない?

次に、論理的思考と行動力について。

すべての人に当てはまるわけではありませんが、物事を考えすぎると、行動が止まってしまうということが起こる。ネットビジネスではよく「バカの方が成功しやすい」「バカになれ」などと言われますが、考えすぎると行動量が減るということも起こりえます。

たしかに、考えるだけでは何も前に進みません。

しかし、「バカになれ」と言っても、本当のバカになった方がいいというわけではないでしょう。訳すなら「考えすぎるのはやめて、行動に移せ」ということになります。

論理的思考のメリットとして「根拠をもって未来を予測できる」と書きましたが、この副作用として、うまくいかない場合の未来を考えてしまって何もできなくなるということがある。これは避けたいところです。

ですが、このデメリットというのは「行動ができない」とか「ネガティブな予測をしてしまう」という部分が肝なのであって、論理的思考自体が悪いわけではありません。むしろ、さらに大局を見た論理を構築できれば、行動もできるようになるはずです。

論理は感性を阻害する?

論理性を重視すると、感性がおろそかになる。あるいは、論理と感性は対立する。こう思っている方もいます。

しかし、論理で貫かれた数学は美しさを感じさせますし、美しい絵画や音楽には「黄金比」のような論理的均整があります。この2つは対立するようには思えません。

また、論理性と美的センスは両方とも持っている人は持っているし、ない人はどちらもないケースが多い気がします。

論理と感性、左脳と右脳、理系と文系。こういったものは対立としてわかりやすいのでよく区別されますが、実際にはお互いに阻害しあったり対立したりするものではなさそうです。

女性の論理に憧れて…

論理論理と書いてきましたが、実はその論理というのは男性的なものです。いわば、男性の論理です。

しかし、この世には女性の論理というものもあるのではないか、と思っています。

ふつう、「男は論理的、女は感情的」とカテゴライズされることが多いのですが、どうもそう単純に割り切れるものではないというのが私の持っている印象。「女は感情的」というとき、その感情には独特の論理性がある気がする。

たとえば数学はまったくできないし、ここまで書いた意味での論理性をまったく持っていない女性が、ある場面ではものすごく正確な判断をすることがあります。それは主に、人間関係とかそこにおける道徳・常識が問題となる場面です。

いわゆる「理屈」とは違うのだけれど、女の感覚・常識で考えると絶対にこうだという判断があるらしく、その正確さにはときどき驚かされます。

男性の論理は主に言葉によって伝達され、言葉によって鍛えられるものですが、女性の論理は言葉の正確さを気にしません。なので、もっと原始的な感覚に根っこを持つものなのでしょう。

この女性の論理も理解できるようになれば面白いのにと思うのですが、いかんせん私にはあまり理解できません。

男と女の論理が違う理由

これは今書きながらふと思ったのですが、男と女で論理が違う理由はこういうことかもしれない。

男は狩猟採集時代、食料となる獲物を捕らえることが重要でした。獲物を追ったり新たな狩場を探すうちに、知らない場所に出たり、慣れない気候条件に対応する必要があったにちがいない。

そこで必要になるのは未知の状況を予測する能力。ここで、論理的思考力が必要となったのかもしれません。

一方、女は集落に残っていた。そこは比較的変化が少なく、まったく新しいことというのは起こりにくい。むしろ、大事になってくるのは他の女たちとの関係の方です。

そこでうまく立ち回るときに必要だったのが、常識を判断したり、周りに合わせたりという女性的論理だったのではないか。

古い時代に重視していたものが違う、つまり根っこにある価値観が違うために、男女で別々の論理が発達してきたのかもしれません。

まとめ

論理的思考力が重要な理由について、それからいくつかの付随的なテーマについてお伝えしました。

もっとも重要なのは、経験が役立たない世界では、論理性がこれまで以上に価値を持つということです。

世の中をどう見たらいいか、どう判断したらいいかわからない場面が増えていますが、まずまっさきに使えるのが論理的思考なので、これを鍛えていくことで成功が近くことでしょう。