自分はつくづく、会社員に向いていないと思う。適性からいって、サラリーマンは不可能だと思う。
その理由を、思いつくまま8つ書いてみよう。はたして、共感してくれる人はどれだけいるだろうか?
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会社員だった8ヶ月を思い出す
今はどこの会社にも属していないが、こんな自分でも会社員だったことがある。サラリーマンをやっていたことがある。あれは2015年の3月から10月にかけてのことだ。
すでに30歳くらいになっていて、大学院生の頃にチャレンジした公務員試験には敗れ、仕方なく関西の学習塾に就職した。契約社員という扱いではあったが、仕事内容は正社員と同じで、働きぶりによっては次年度から正社員登用もありうるという条件だった。給料は総支給で月25万円くらい、手取りでちょうど20万円ほどだった。
しかし、3ヶ月が経った頃にはもうだいぶ雲行きが怪しかったし、半年が経つ頃には完全に辞めることを決意していた。「こりゃあ無理だ」と思った。そうして、事実、8ヶ月ばかりで退職してしまった。
世間では「3年以内に会社を辞める若者」が問題になっているが、私の場合は一年と持たなかったわけだ。
辞めた理由の大きな部分は授業がうまくいかなかったからである。学習塾の講師という専門的な部分が、たしかに大きい。だが、それを抜きにしても、会社勤めというのは向いていないと実感した。理由をいくつか挙げてみよう。
理由1:仕事を命じられるのが嫌
さっそく致命的な理由である。私は上司から「これをやっておいて」と、仕事を命じられるのが嫌だった。とにかく鬱陶しかった。
塾講師なので授業に関するものは仕方ないが、その他の雑用的な部分——たとえば掲示物を作るとか、チラシをアホほど折るとか、シュレッダーをかけるとか、パソコンのセッティングをするとか——こんなのをやらされるのが嫌だった。
いや、それだけではない。やっぱり授業に関する部分でも、ああしろこうしろと言われるのは嫌だった。指導やアドバイスはありがたいが、「宿題をもっと出せ」とか「ここに時間をかけすぎ」とか、細かいことまで言われるとイラッとしたものだ。
上司に何か命じられると「お前が自分でやれよ」と思ってしまうので、完全に会社員には向いていない。どれだけ自由な社風とか言ったところで、社員はやはり会社の仕事の枠の中でしか動けないので、それは自分には無理である。
何をやるか、どうやるか、いつやるか、どこでやるか、誰とやるか、そもそも、やるかやらないか——これらすべて、自分で決めないと気が済まない。
理由2:服装や出勤時間に自由さがない
会社員だと、職場にもよるだろうが、服装や出勤時間に自由さがない。私のかつての職場も服はスーツと決まってて、出勤時間・出勤日は必ず守らされた。
「出勤時間とか出勤日を守るのは当たり前だろう」と思われるだろうが、会社というのは必要以上にここに厳格である。厳格すぎるのである。1分でも遅刻したら大罪を犯したかのように言われるし、軽い気持ちで休めないのが不自由である。
仕事の状況にもよるが、特段迷惑にならないのなら、ちょっと10分くらい遅れたり、「やることないから明日は休みます」でいいじゃないかと思ってしまう。こう言うと「学生気分」などと批判されそうだが、「社会人気分」の方が自分には奇異に映る。
理由3:会社の業績がどうでもいい
ここはかなり決定的な部分だと思うが、私は会社の業績に興味がなかった。その会社の一員という意識も希薄だったし、業績がどうだろうと知ったこっちゃなかった。
そう考える訳は簡単だ。会社の業績がアップしたところで、給料は変わらないからである。
もちろん、5年10年のスパンで考えれば違ってくるだろう。あるいは正社員になってボーナスを貰うようになれば、少しは気になったかもしれない。……いや、しかしこれにも懐疑的だ。
世の中のサラリーマンに対してもっとも不思議に思うのはここである。なぜ、会社のことを自分のことのように捉えられるのか、そこが分からない。いわゆる帰属意識というのか、なぜこれを持てるのか分からない。
私は「サラリーマンを続けられる人はすごい」と思っているが、彼らにはたぶん、会社への帰属意識を持つ才能というものがあるんだと思っている。私にはこの才能がまるでない。
努力して工夫して、その成果が直接的に自分に返ってくるから、やる気になれる。しかし、そうでないならやる気は湧いてこない。完全に個人主義的な発想なのだ。
余談だが、雇われの身なのに会社の売り上げや業績に貢献する姿勢というのは、正社員に限らず、パートの人にもあったりするからなお不思議である。コンビニでアルバイトをしていたとき、パートの女性たちは勤務店の売り上げや在庫状況を気にして、自腹で売れ残りを買ったりしていた。ここまで来ると本格的に理解ができない。
ちなみに、最終的にこのコンビニ・チェーンは大手に吸収され、ほぼ全店舗が消滅してしまった。彼女たちの努力はいったい何だったのだろう? あれが何になったというのだろう?
理由4:情報発信とコミュニケーションが制限される
私が入った会社は学習塾で、生徒とSNSで交流することが一切禁止だった。もしTwitterやFacebookなどでやり取りをしていたら、あるいはそういう疑惑が露見しただけでも、即刻解雇と言われていた。
疑惑だけで解雇というのが法律的に認められるのかは分からないが、とにかくそのくらい厳しく、そもそもSNSの使用すら会社側は快く思っていない節があった。
採用されたあとの面談では、人事の人からあらかじめチェックされていたようで、「Facebookのアカウントは削除することをおすすめします」と忠告されたくらいだ(無視したけど)。
そもそも他の会社でも、社員によるSNSでの情報発信には慎重なところが多い。アフィリエイターでも、会社員だと不思議なくらい顔出しを拒む。あれは会社が厳しいのだろう。
内部情報の流出を警戒するのは分かるけれど、やはりそれが制限されるというのは受け入れがたい。
理由5:社会人的な喋り方ができない
これはかなり個人的な問題かもしれないが、いわゆる社会人的な振る舞いとか喋り方ができない。
伝わるかどうか分からないが、愛想よく笑って何度もお辞儀をして、それから「お世話になっておりますぅ」とか「お忙しい中おいでくださってありがとうございますぅ」とかが言えない(「すぅ」の「ぅ」がポイントだ)。
考えてみると、大学生のときも大学生的な喋り方とか単語にはなかなか馴染めなかった。サークルに入ったときに「お疲れ様です」という挨拶を覚えたが、これも慣れるまで随分かかった。「シラバス」とか「レジュメ」とかいう大学生言葉にも違和感があったし、今では意味もほぼ忘れてしまった。
しかし、この社会人言葉や喋り方の問題については、今では割とどうでもいいと思っている。サラリーマンの全員が全員、こういう喋り方をしているわけではないし、こういういかにも社会人という喋り方をしていてもトンチンカンな人はいるので、あまり重要な問題ではないと思うようになった。
理由6:失敗しづらい空気
会社にいるときは失敗がしづらかった。何か失敗すると上司からダメ出し、もしくは叱責され、これ嫌だった。私は叱られても謝らない人間なので、その都度「謝罪しろ」と要求されて、これにも抵抗があった。
大きな損失が発生するようなミスなら仕方ないが、業種が学習塾で、しかも私がやってた授業以外の仕事はほぼ雑用である。少しのミスくらいで何か大きなトラブルが生じるわけはないのだ。にもかかわらず、罪を犯したかのように言われて「すみません」と言わされる意味がわからなかった。
そもそも、あえて失敗するぐらいのつもりでやってみて、何度か失敗してからうまくできる方法を考えるというアプローチの仕方だってある。これができないのが非効率に感じられて嫌だった。
今は個人でアフィリエイトをやっているから、失敗し放題でとても気が楽だ。サイトに誤字脱字があろうが、画像サイズが狂っていようが、不謹慎なことを書こうが、何も咎められない。失敗しまくってあとで修正していくスタイルが取れる。
理由7:自分個人の仕事が残らない
会社で仕事をすると、自分個人が集客力を持ったり、自分の作品があとに残るということがない。ここも自分にとっては受け入れがたい点だ。
やり手の講師であれば、たしかに家庭から評価されて、その先生目当てに入塾するということもある。しかし、だからといって歩合制で給料がアップすることはないし、個人の塾をすぐ立ち上げられるわけでもない。カリスマ講師になったとしても、それによる恩恵は会社が享受するだけだ。
あるいは教材作成をしても講師育成のノウハウを蓄積しても、それを自分個人の著作物として売れるわけでもない。業務上作成したものは会社に著作権が帰属してしまうのだ。
これに対し、アフィリエイトなら個人としてサイト運営ができるし、小説を書けば自分の名前でKindle出版ができ、半永久的にAmazonに残る。「こっちの方がいいじゃん」と思う。
理由8:サラリーマン特有の倫理や価値観が苦手
結局はこれだ。サラリーマン的なもの全般を受け付けない。サラリーマン特有の倫理や価値観、共通認識みたいなもの、それがダメだった。
たとえば私の上司はそのとき40歳くらいだったが、「いつか〇〇へ行ってレストランを開きたい」という夢を語っていた。だったらなぜ塾講師をしているのか分からなかったが、こういう「夢を語る」のが美しいみたいな感じが嫌だった。「だったらすぐやれ」と思っていた。
一般に、サラリーマンは次のような特有の倫理というか価値観を持っている。
「家族のために毎日ヘトヘトになって仕事をしつつも、いつか自分の夢を実現させたいと願う。これが美しい姿だ」
しかし、自発的に結婚して子供を持ったのに、あたかもそれに「縛られている」かのように語るのがよく分からない。それなら独身でいればよかっただけの話である。あるいは今からでも離婚すればいい。
また、夢について語るのもおかしい。語られている夢は、たいてい被雇用者としての労働の延長上には存在しないものばかりで、連続性がないのだ。夢の実現が本当の目的なら、今やっている労働は無駄でしかない。
最後に
思いつくまま、自分がサラリーマンに向いていない理由を8つ書いてみた。「こりゃあ向いてないわ」と思われたことだろう。
ただし、私は別にサラリーマンを馬鹿にしているわけではないし、それが悪いとも思ってはいない。たまに目に付く脱サラ・ブロガーみたいなことを言いたいわけでもない。
むしろ、サラリーマンを続けられるのはある種の才能だと思うし、まだサラリーマンという働き方が一般的な今、世の中でも認められやすく、いい働き方だと思う。できれば自分もやりたいくらいだ。
だが、できなかった。会社員をしつつ小説を書ければよかったが、無理だった。なので仕方なく、アフィリエイトをやっている。そういう面もある。