この頃、時代の変化をヒシヒシと感じます。いろんなものが変わっていきます。

今日はいくつかの変化について、考えてみようと思います。

コミュニケーション戦略のシフト

人間関係のあり方が大きく変わってきました。

以前なら、学校や会社、地域社会という場が日本人の主なコミュニティであり、そこでうまく立ち回る能力が求められていました。

そこで必要とされた能力のひとつに、気が合わない人ともうまく付き合っていく、というものがあります。学校も会社も地域社会も、同じ価値観や気質を共有している人ばかりではありませんから、それなりにうまく付き合っていく処世術が必要でした。

しかし、今は会社で働かなくてもいいし、住む地域を限定せずともいいし、好きな人たちとオンラインで繋がれるようになりました。複数のコミュニティに属することができるようになりました。

そのため、無理に人に合わせる必要がなくなりました。ここで必要となるのは、そういった人と距離を取る——あるいは、「切る」能力です。

これはツイッターやフェイスブックなどのSNSで顕著ですが、そこでは好きな人とだけ付き合えばよく、嫌いな人や、自分にとってプラスにならないと思った人はフォローを外す、あるいはブロックしてしまえばいい。これが基本原則となってきています。

今でも学校という機関はクラスという単位を持ち、その中でうまく立ち回ることを暗に促進しておりますが、その能力は今後、無用の長物となっていくでしょう。

コミュニケーションのあり方自体が大きく変化してしまったので、これから必要とされるコミュニケーションの能力も、だいぶ大きく変質していくに違いありません。

価値観の大幅な断絶

今、ネットやガジェットに親しんでいる人間と、そうでない、古い社会に生きている人とでは、考え方や価値観に大きな差が生まれています。

私が大学に入った2005年あたりまでは、まだその差はさほど大きくなかったように感じています。

しかし、今どうなっているかというと、その頃古い考え方や価値観を持っていた人は14年来ほぼ何も変わっておらず、ネットに親しんできた層はめまぐるしい変化を遂げているように感じています。

たとえばアフィリエイトを取ってみると、これは2005年にはすでにありました。そのため、私にとってはネットで稼ぐという話はまったく目新しいものではありませんでした。

が、2019年になった今も、まだ「怪しい」とか「詐欺っぽい」と思っている人がいるらしく、ここには圧倒的な断絶を感じます。

この差は今後も開く一方なのでしょう。

ちなみに、この断絶というのは世代間の差ではありません。必ずしも、年配者が古い考えで、若い人が進歩的、ということではない。ネットを使いこなす70代もいれば、古臭い価値観に縛られている20代も大勢います。

お金の価値の下落

お金の価値は、だんだん下がってきています。いいえ、円安とかデフレという話ではありません。お金の価値そのものが下落しているのです。

たとえば、小耳に挟んだ話ですが、あるご婦人が子供を産んだために、それまであったベッドを処分して、新しいベビーベッドを購入したそうです。

以前であれば、古いベッドはお金を出して自治体か業者に持っていってもらう必要がありました。ですが、その方は粗大ゴミにも出さず、ジモティーに出品し、欲しい人に持っていってもらったそうです。

そのベッドをもらった人も、かつてなら家具のお店で買っていたはずのものを、無料で手にいれることができました。

すなわち、ジモティーというオンライン・サービスが出現したことにより、両者ともお金を使うことなく、望みを叶えることができたわけです。

現代では、かつて有料だったものが無料で使い放題となっており、その利益は計り知れません。

  • Gメール
  • GoogleマップやGoogleストリートビュー
  • Wikipedia
  • ヤフオクやメルカリ
  • Amazon
  • 各種オンラインツール・サービス
  • YouTube動画

これらのサービスがあるおかげで得られている経済的な便益は相当なものです。

しかも、これらのサービスは富裕層にも貧困層にも同等の価値を持っているというのも面白いところ。たくさんお金があったからと言ってGoogleマップの精度が増すわけでもないし、ヤフオクやメルカリで優先的にものを買えるわけでもありません。

せいぜい、月数百円くらい課金して、広告を消せるとかちょっと便利になるといった程度に過ぎません。

日本人は拝金主義だと言われることがありますが、いよいよお金の価値が下落してきました。お金の価値自体が失われていく。むかしであれば考えられなかったことです。

ただし、お金というのは数字なので把握しやすいですし、いくらかはないと不便ですので、まだいま現在、お金の価値の下落というのはそんなに認識されていないかもしれません。「お金がないと生活できない」という命題に縛られて、その変化を見落としている方が多いかもしれない。

もしこの変化に対応しようとすると、では、お金に代わるものは何なのかという価値の問題を考えなければいけません。ですが、価値について考えるというのは非常に難しいことです。自分が何をしたいのかを見つめなくてはなりません。

夢と現実の境界線が消えた

私が子供の頃は、夢と現実という区別がありました。

たとえば歌手になりたいという夢があり、一方で、普通に会社に就職するという現実的選択がある。で、夢を目指すか現実を優先するかという決断を迫られる。そんな構図がありました。

ほんの一握りの人が夢を実現し、大多数の人は夢を諦めて現実的な選択をする。ここにははっきりとした二分法があって、これが青春の苦悩を産んでいました。これを題材とした映画やドラマもたくさんありました。

しかし、今はこんな区別はほぼなくなってしまいました。

たとえば歌手になるといっても、プロデビューしたから大金を稼げるわけではないし、逆に素人でも自力で歌を世に出してマネタイズすることができる。しかも、何歳でもできる。

ものによりますが、夢を諦める必要はほとんどなくなっています。一方、いわゆる現実というものを優先したとて、それで生活が安定するという保証もありません。

夢を追うか現実を取るか。この二者択一はすでに無効となってしまいました。

変化をどう感じているか

いま言語化できるいくつかの変化について考えてみました。が、上記以外にもさまざまな面で時代の変化を感じています。

この2、3年くらいはやや変化に置いていかれそうに感じていて、はて、これが変化スピードの増加によるものなのか、私自身の感性の鈍化によるものなのかはよくわかりません。どちらだなのだろう。

若干のノスタルジーもないわけじゃありませんが、それでもほとんどの面で世の中はよくなっているようです。変化にキャッチアップしつつ、やっていきたいものです。