いま、人々は何を面白いと感じているでしょうか? 漫画、映画、アニメ、ゲームなど、コンテンツ産業は花盛りで、面白いものは横溢しています。そのいずれかのタイトルを答える方もいるでしょう。

あるいは他者との交流、スポーツや武道、日々の生活や子育て、仕事と答える方もいらっしゃるに違いない。

しかし、私にとって最高に面白いもの――それはこのいずれでもなく、「変な人」の存在です。

退屈を紛らわしてくれる「変な人」たち

このブログでは何度か、退屈について書きました。私たちにはやることがなくなっており、実は退屈に悩まされているのだと。退屈は想像以上に危険な厄災であると。

この退屈を紛らわしてくれるのものの一つが変な人です。

変な人は常識に外れた言動をするので目を引きます。奇妙だから興味を惹かれます。思わず見てしまう。だれかと噂話をしたくなる。

基本的に、普段目にする物事は常識の枠内に収まっており、突飛な出来事は起こりません。周りにいる人間も普通の人ばかりです。価値観と発想は均一化されていて、そこから外れる人物というのはそうそういない。

となると、たまにそこを外れる人物がいると、希少価値が生まれ、興味を惹かれることになります。

この「外れ方」は上への外れ方でも構いません。つまり、並外れて能力が高い人、頭のいい人。こういう人も面白い。だから私は『もしドラ』作者の岩崎夏海さんが好きで塾にまで通っているのですが、しかし、こんな人は日本中を見渡してもほとんどいません。

一方、下への外れ方をしてる人はそこそこいて、こういう人たちこそが退屈を紛らわしてくれるのです。

YouTuberより動画配信者

最近、ますますYouTuberが注目を集めています。ヒカキン、はじめしゃちょー、ヒカルなど、多くのYouTuberが人気を獲得し、高い収入を得ています。

しかし、私にとってYouTuberの動画はさほど面白いものではありません。

そもそも彼らの多くが子供を対象にしているということもありますが、たとえビジネス目線で視聴したとしても、YouTuberの動画は「そこそこよくできたコンテンツ」でしかないのです。

アイデアやキャラクターはそれなりに面白いですが、彼らは非常な努力家で、コンテンツ制作者です。その意味ではバラエティ番組やお笑いなどと並列の関係にあり、その並びの中で「新しいジャンル」というだけです。

一方、動画配信者は違います。

これはまったく馴染みがない方もいるでしょうが、YouTuberとは別に、生放送をメインに活動している動画配信者、あるいは生主(なまぬし)という人たちがいます。彼らはまごうことなく、変な人たちなのです。何かが欠落している。

ニコニコ生放送やふわっち、ツイキャスといった媒体で生放送をし、そこでリスナーと会話したり何やかやとトラブルを起こしているのですが、それが格別に面白い。

たとえば関慎吾という人はしょっちゅう母親から「出て行け、この与太野郎!」と罵倒されています。その様子が生放送で配信されているのです。母親の罵倒が演技でも仕込みでもなく、本気だから面白い。

あるいは、しんやっちょという人は屋外での配信をよくしており、たびたび悪質なアンチリスナーから警察を呼ばれています。長時間に及ぶ職務質問を受け、困る様子が長々と生配信されている。これも、本人は本気でいやがっているから面白い。

つまり、YouTuberが人工的な動画を作るクリエイターであるのに対し、動画配信者はその人自身が「変な人」で、天然の素材が面白いのです。

面白い小説には変態的な要素が必要

私自身は彼らのような「変な人」ではありません。本物の「変な人」になるには知能が高いし、常識もあります。なので、天然の素材としては失格です。

しかし、本当に面白いコンテンツを作るならば、ああいった変な人の要素というのはどうしても必要になるでしょう。この要素を「変態的要素」と呼ぶことにしましょう。

変態的要素とは、常識はずれだったり極端な馬鹿さ加減だったり、常人には理解できないこだわりだったりというものです。これを作品に入れ込むことが必要になる。

ただし、ここには一つ罠があって、変態的要素も形骸化したもの、記号的なものというのは面白くありません。たとえば薄暗い部屋でパソコンに向かうニート・ひきこもりとか、一升瓶を持って街をうろつく浮浪者とか、そういうイメージはすでに陳腐化してしまってます。

そうではなく、まだ多くの人が共有できていないような変態性――人が気づくか気づかないか、そのボーダーライン上にあるような変態性が、真に面白いものとなるでしょう。

私は天然の面白人間にはなれませんので、あくまで漁師のごとく、そういった素材を発見・捕縛し、調理していきたいと考えています。

変な人は経済的に報われない

ところで、これは余談めいた話になりますが、変な人たちは最終的に報われるのでしょうか?

YouTuberはいま、だいぶ報われてきています。かつては個人が動画制作をして儲けるなんてほぼできませんでしたが、いまはかなりの人が生活できるレベルで稼げている。アイデアと努力がお金になっています。

一方、動画配信者を含む変な人たちはどうか? 彼らは、ほとんど報われていません。

一部は生放送における「投げ銭」などによってお金を得ているようですが、YouTuberに比べるとその額は全然少ない。上述の関慎吾やしんやっちょにしても、ギリギリ生活できてるかどうかのレベルで、大きく儲けているわけではありません。

結局、動画でもアフィリエイトでもそうですが、お金を儲けるにはセルフプロデュースの能力が欠かせません。いくら素材が面白くとも、それをマネタイズする意欲と才覚がなければ、経済的に報われないのです。

しかし、残念なことに変な人というのは常識がありませんので、自らの面白さをうまくマネタイズできません。動画配信者ならまだしも、身近にいる変な人たちは、そのおかしさを元にお金を稼ぐなんてことはできません。

せっかく世の中に多大な娯楽を提供しているのにまったく報われないわけで、変な人たちが気の毒に思えてなりません。

変な人は世界観を広げてくれる

さて、なぜ変な人はこれほど面白いのでしょうか? これは私にとっては自明のことで、固定しかかった世界観を破壊してくれるからです。

生まれてからさまざまな常識や知識を吸収することで、私たちの世界観は構築されてきました。それは15年も生きればかなり固定したものとなります。一度構築されたリアリティというのはそうそう変化しません。

しかし、変な人はその固定しかかった枠組みを軽々と飛び越えてしまいます。あるいは、からだ半分、外側に出ています。生まれついてのトリックスターなのです。

こうした存在は非常に貴重です。どんな有能さや勤勉さにも勝る価値を持っています。

変な人と出会いたい

自分にとって最高の娯楽である、変な人の存在。これは今後の創作のことを考えても、非常に重要な意味を持ちます。それなしには本当に面白いものなど作れません。

普段の生活の中ではなかなか変な人にはお眼にかかれませんが、ネットでも見つけることはできるので、また何かの拍子に発見できたらと思っています。