なぜ学校に行かなければいけないのか。この問題は高校生の頃に集中して考えたことがあり、その後もよく考えてきました。
いまだによく議論されるこの問題ですが、33歳のいま、改めて考えてみようと思います。
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学校に行かなければいけないと思ってる人はまだ多い
大前提として、「子供は学校に行かなければいけない」と思っている人はまだたくさんいます。
親もそうだし、教師もそうだし、社会全体として、そういう常識がある。
だから、学校に行かないと不登校などと言われ、何か悪いことをしているように言われますし、「学校に行け」と強制されることもしばしばです。
とりわけ驚かされるのは、いじめを苦にしての自殺です。つい最近も、夏休み明けに自殺する子供のニュースをいくつか目にしましたが、こうした悲劇が起こるのも「学校に行かなければいけない」という風潮がつよい証拠。
ふつうに考えれば、学校に行かなければいいだけ。いじめなんて、一瞬で解決する問題のはずです。なのに、みずから死を選ぶというのは何とも唖然としてしまう話です。
学校に行かなければいけない理由を考える
では、なぜ学校に行かなければいけないのか、その理由を考えてみましょう。
けれど本当の理由に迫る前に、まずは世間でよく言われる理由が正しいかどうか、検証してみようと思います。
理由1:小中学校は「義務教育」だから行かなくてはいけない

小学校・中学校の9年間は「義務教育」と言われています。そのため、子供はこの期間は学校に行かなければダメなのだ、という意見もあります。
義務教育というのは法律ではっきり決まっており、このように書かれています。
日本国憲法 第26条 2項
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。教育基本法 第5条
国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。学校教育法 第22条
保護者は、子女の満六才に達した日の翌日以後における最初の学年の初から、満十二才に達した日の属する学年の終りまで、これを小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校に就学させる義務を負う。学校教育法 第38条
保護者は、子女が小学校の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初から、満十五才に達した日の属する学年の終りまで、これを、中学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校に就学させる義務を負う。
ざっと読んでいただければわかる通り、教育の「義務」というのは親が子供に「教育を受けさせる義務」であって、子供が「学校に行かなければいけない義務」ではありません。
学校に行くのを嫌がる子供に対し、
「義務教育だから学校に行かなければいけないんだよ」
と言う親もいますが、その親は法律のことを知らないか、もしくは、わかった上で嘘をついていることになります。
というわけで、「義務教育だから学校に行かなければいけない」という理由は間違いです。
理由2:将来生きていくのに必要な知識や思考力を得るため

学校というのは、基本的に勉強するところです。大人になって社会に出たとき、困らないだけの知識や思考力を得るために学校に行く。これはもっともな理由に聞こえます。
たしかに、もし小学校にまったく行かず、そこで学ぶはずのことを身につけずに大人になったら、かなり困ったことになるでしょう。
計算もできず、九九も満足に言えず、読み書きもおぼつかず、科学や歴史の基本的な知識さえないとなると、ほとんどの仕事に就けません。アルバイトすら難しいでしょう。
なので、小学校に関してはこの理由はわかる。
しかし、中学校となるとやや疑問です。中学でならう勉強の内容は、たしかに基礎的な事柄ではあるけど、わからなくても困らない内容がかなりのウェイトを占めています。
実際、中学でやった英語や数学、理科や社会の内容をしっかり理解し、使いこなしている大人がどれだけいるかと考えると怪しいものです。
高校になると、もうこの理屈は完全に破綻してしまいます。高校で学ぶ内容など、社会に出たら使わない無用の長物ばかり。
というわけで、「小学校に行かなければいけない理由」としては妥当ですが、中学・高校に関しては当てはまらないかな、と思います。
理由3:いろんな人と出会い、人間関係を学ぶため

中学校は義務教育だけど子供の義務ではない。学ぶ内容も実用性からはずれたものばかり。こうなったとき、理屈として持ち出されるのがこれです。
学校は人間関係を学ぶことができて、社会性が身につく。だから、行った方がいい。こう言われることもあります。
しかし、これも説得力がありません。
まず、学校というのは同学年の人がひとつの場所に集められていますので、接する相手は同い年ばかりです。
大人になればまったく同い年の人ばかりの集団に入ることなどほぼありませんから、そんな特殊な環境での「人間関係」の経験が役にたつのかははなはだ疑問です。
しかも、学校に行けば必ずひとりやふたり、嫌な相手というのがいる。そういう人物と何とかやっていく術というのが重要視されることもあります。が、おそらく今後、そういう人とは付き合わないという方が一般的になっていくでしょう。
気があう人、趣味が同じ人、一緒にいて心地いい人。そういう人とだけ関わればいい時代にシフトしてきていますので、嫌いな人と折り合いをつけてやっていく能力というのは無駄な能力となっていくでしょう。
本当は学校に行く必要はないのではないか?
よく耳にする「学校に行かなければいけない理由」を3つ取り上げ、検証してみました。
結果、どれも完全に納得できるものはありませんでした。
ここで頭に浮かぶのは、こういう可能性です。
「本当は、学校に行く必要なんてないんじゃないか?」
では、この点について、小学校・中学校・高校の順に考えてみましょう。
1:小学校に行く必要はあるか?
これは、基本的には行く必要があるでしょう。
上にも書きましたが、小学校で習う計算・読み書き・基本的な知識などは抜けてしまうとかなり厳しい。職業選択の幅は思いきり狭まってしまいますし、独学で何かを学ぶことも難しくなる。
だいたいのことは大人になってからでも本を読んだりネットで調べるなりして学ぶことができますが、そもそも文章を読んだり書いたりできなかったり、言葉を知らなかったりすると、それすらできない。スタート地点にすら立てない状況となってしまうので、小学校卒業レベルの学力はないと困ります。
しかし、学校で習う内容をもし家庭で学べるのなら、別に行く必要はないでしょう。もし保護者が自分で子供に勉強を教えるのなら、何がなんでも小学校に行かなければいけないわけではない。
ただし、それができる親というのはかなり限られているはずです。
小学校に行かず、家庭でも教育がなされなかった場合、その子は読み書きすらまともにできない大人になってしまう。しかも、そういう大人は実際に社会の中に一定数いるらしい。
こういう事態は避けたいところです。
2:中学校に行く必要はあるか?
ここが、いちばん難しい。
中学校程度の知識はあった方がいいけど、しかし、小学校の内容が頭に入っていれば何とかなる。基本的な英語や社会の知識は必要だけど、2次方程式が解けなくてもメンデルの法則がわからなくても別に困らない。
というわけで、すでに小学校の勉強がよくできている子供に関しては、中学校に行く必要はないような気がします。
しかし、学年はあがったけど実は小学校の内容も怪しい子――こういう生徒はかなりの数いますが――は通うべきでしょう。補習のような意味合いで。
ただし、ホームスクールのように家庭学習できる環境があるなら、わざわざ学校にこだわる必要はないと思います。
3:高校に行く必要はあるか?
高校に関しては簡単で、行く必要も意味もない。
これは自分が高校生当時から思っていたのですが、高校という場の存在意義がまるでわからない。
教えているのは中学校でやったことを無駄に難しくしたような内容で、実用性はほぼ皆無。社会に出て役立つことはほとんどありません。
15歳ともなれば頭脳も体もほぼ大人なのに、中学生と同じような状況に押し留めている意味がわかりません。
大学進学希望であればその受験準備という目標はあるわけですが、それにしては効率が悪すぎます。私立大学なら3教科で入学できるのに、高校ではわざわざ3年もかけてほぼすべての教科をやらせている。気が狂っているとしか思えません。
また、大学に行きたいのであれば「高卒認定試験」(昔の大検)というものがあり、これに合格すれば大学受験はできる。何も、3年もかけて高校を卒業する必要はないのです。
学校に行かなければいけない唯一の理由

以上が私個人の現在のこたえですが、それでも世の中は「学校には行かなければいけない」という意識が強い。
ホリエモンや落合陽一が何を言おうが、この風潮はそうそう変わらないでしょう。ちょっとは変わってきてるけど、ガラリと変わるにはまだ何十年もかかりそうな気がします。
では、なぜ多くの人が「学校は行かなければいけない」と思っているのか? その本当の理由、たった一つの理由はこれです。
みんなが行っているから。
なんだか肩透かしみたいな結論ですが、冷静に考えるとこれしかない。
親の立場からすれば、他の子供が学校に行っているのに、自分の子だけ行かないと不安になる。世の中から浮いてしまうような気がする。
本人の意識としても、みんなが学校に行っているのに自分だけ家にいると不安になる。
結局のところ、これが最大にしてほぼ唯一の理由でしょう。
もしこれ以外にしっかりした理由があるなら、親や教師など世の大人たちはもっとすんなりと説明できているはずです。子供から「なぜ学校に行かなければいけないの?」と質問されてしどろもどろになるのは、本質的な理由がないから。
もしほとんどの人が学校に行かなくなり、半分の子供しか学校に行っていないとなれば、おそらくだれも「学校に行かなくてはいけない」と言うことはなくなるはずです。逆に、「なんで学校に行ってるの?」という疑問さえ一部生まれてくるかもしれない。
実際、大学などの高等教育機関には日本人の半分程度しか行っていません。そのため、「なぜ大学に行かなくてはいけないのだろう」と悩む大学生などおりません。
大学は、行く意味がわからないなら行かなくていい。辞めればいい。本来、中学・高校も同じはずなのです。
なぜ大人は正直な理由を言えないのか?
ところで、なぜ大人は正直に、「みんな行ってるから」と言えないのでしょうか?
「みんな行ってるのに、自分だけ行かないのは変でしょ? 不安になるでしょ?」
十中八九、これが本当の理由なのですから、こう言ってしまえばよさそうなものです。多数派に合わせて生きることにもメリットはあるのですから、それを説明してやればいい。
けど、正面切ってこう言う人はそんなにいない。
実は、親の側にはこう言えない事情が存在しています。
それは、以前に「よそはよそ、うちはうち」という論法を使ってしまっているからです。
子供が親に何かせがむとき、たいてい「〇〇くんも持ってる」とか「みんなやってる」という理屈を持ち出してきます。おもちゃやゲームが欲しいとき、こういうふうに言わない子供はまずいないでしょう。
そして、これに対し、親は「よそはよそ、うちはうち」という理由でこのお願いごとを却下してしまいます。他の子がどうでも関係ないんだよ、という論理を強力に行使して子供を黙らせてしまいます。
そのため、かなり年数が経ってからも、親は「みんながそうだから」という理由を子供に告げることができません。それは明らかに自己矛盾であり、「言ってることが違う」からです。もしそんなことを言えば子供側からも矛盾を指摘され、そして、返す言葉がなくなってしまいます。
その結果、親は自己矛盾に陥らないような他の理由を探してまごつくことになってしまいます。
行く意味のある学校ならば…
根本的な話ですが、そもそも行く理由をがんばって考えなければいけないということ自体、おかしな話です。
なぜ自動車学校に行くのか? それは車の運転を習って免許を取るためです。
なぜ調理師学校に行くのか? それは料理のやり方を習って調理師になるためです。
なぜ予備校に行くのか? それは受験に合格して大学に入学するためです。
ふつう、学校でも塾でも目的は明確で、「なぜ行かなくてはいけないのか?」なんて疑問は湧いてこない。
小中学校・高校も、もっと目的が明確で、何の役に立つのかがわかれば、行く理由がわからないなんてこともないはずでしょう。
たとえば中学校であれば、そろそろ全員がスマホを持っているのだから、スマホの使い方を教える。
これからは検索能力が重要なのだから、どうすれば自分の求める情報にアクセスできるのか、Google検索のやり方を教える。これなら実用性があるし、やる意味がわかる。
あるいは、法律と税金のことを教える。民法と刑法の基礎、確定申告のやり方や税金の種類。これらは国民としてはほぼ必須なのに、なぜか学校で教えていません。そのため、現状は大人でさえ曖昧にしか知らない人ばかりです。これも学ぶ意味がはっきりしてる。
他にも教えるべき事柄は山のようにあるわけなので、そういうものを学校でやれば、「行かなければいけない理由はなんだろう?」と悩むこともなくなるはずです。
まとめ
昔から疑問だった「なぜ学校に行かなければならないのか」という問題を真面目に考えてみました。
もっとも有力な理由、それは「みんなが行っているから」というものです。本質とずれているようですが、やっぱり多数派の力というのは強い。
結局のところ、この疑問、この問題の根っこにあるのは、現在の社会状況と古い教育制度とのあいだにある大きなずれです。明治あたりに作られた学校という制度が、いよいよ時代に合わなくなってきたために起こっている悲劇がここにあります。
はたして、このずれが解消されるのはいつになるのか? なまじ百年ほどもうまくいっていた学校教育だけに、根本的な変革にはまだまだ時間がかかりそうな気がします。