これは岩崎夏海クリエイター塾に何度か参加し、そこで得た新たな知見です。

映画にしろ小説にしろ、よく大衆向けと芸術系などと大きく二つに分類されますが、実のところ、表向きの面白さとさらに深い面白さは同じ作品の中で両立しうるのだそうです。

どういうことでしょうか?

大衆向けと芸術系

小説の世界ではよく、大衆小説(エンターテイメント小説)と純文学が分けて考えられています。これは有名な直木賞と芥川賞という2つの文学賞にも対応しており、ご存知の方も多いでしょう。

一方、映画でもそういう二分法はあって、たとえばハリウッドは基本的に大衆受けを狙ったエンターテイメント作品を作り、それとは別に各国で芸術系・ミニシアター系の映画が作成されています。

普段、あんまりいろんなコンテンツを見ているわけじゃないライトな層はエンターテイメント作品を好み、知識豊富なマニアは芸術的で難解な作品を好んで見る。大雑把にはこんな構図があります。

しかし、小説も映画も、実際にはそんなにきっぱり分けられるものではないし、グラデーションがあるものです。カンヌ映画祭に出てくる映画にもエンタメ要素はあるし、ハリウッドの大作映画にだって芸術性は含まれている。

その2つは両立できるはずなのです。

同じ小説でも読む人によって感想は違う

拙作『アフィリエイトに魅せられて』には、ありがたいことに、ときどき感想を書いていただくことがあります。すべて、エゴサーチして読ませてもらっております。

すると、当たり前ですが、読んだ方によって響くポイントが違うようです。これもありがたいことに「面白かった」と書いてくださることが多いのですが、その面白ポイントは、人によって違う。

割とわかりやすい部分を面白いと書いてくれる人もいれば、もっと深い部分に踏み込んで感想を書いてくださる方もいる。

ということは、同一の作品であっても、表層的な面白さと深い部分での面白さはどっちも両立させうるということです。

大衆ウケと自分の感性は両立可能

「大衆受けするものを書いて売れたい! でも、自分の面白いと思うものも書きたい!」

こんな葛藤がよく、戯画化された作家・アーティストの悩みとして出てきますけど、別にこれは二者択一じゃないってことです。

大衆向けの単純で安直な面白さも入れつつ、同時にわかる人にしかわからない深いテーマも折り込めばいい。そう、別に、これでいいのです。

わかりやすいお笑い要素、ギャグやあるあるネタに近いような描写もバンバン入れて、自分が本当に面白いと思うものも同時に深いレイヤーとして作品に入れ込んでおく。

面白レイヤーを多重にして、いろんな層の人に響くようにしておく。

このような作品作りを次回作の課題にしたいと考えています。

終わりに

いま、いちばん上のアイキャッチ画像を見ていて、思いました。

たまたま拾った画像なので、これがどんな飲み物かよくわかりませんが、上の白い層はなんだか甘そうで、底にはキューイがありますね。

この1杯の飲みモノ、上の方が甘くておいしかったという人もいれば、下のキューイがいいという人もいて、でもどっちでも、どちらかがおいしければ満足するでしょう。それでいいのです。

また、「上の方が好き」「いやいや、下の方がおいしい」という形で断絶や意見の違いが生じたとしても、それはそれで、話のタネにもなるし、悪いことではありません。

そんな感じの小説が書きたいものです。